共通言語。

昨年度に大学院を卒業した面々と久し振りに呑み会をする。学校近くの飲み屋を回ったが、馴染みの店が軒並み定休日。メインが大学生相手の商売なので、学生のあまり来ない日曜日はやらないらしい。店が決まらないままうろうろしていると、開店間もないらしく肉類半額サービスをしている焼肉店を運良く見つけた。まあ他のグループと相席に近い状態だったのはこの際目をつぶらざるを得まい。
当初集まったのは3人だったのだが、目の前で2人が梁石日の話で白熱する。私はと言えば彼の作品を読んだ事はなく、『夜を賭けて』を誘われて観に行った程度の上それ程深い感慨を持った訳でもなかったので、2人が熱く語り合っているのを肴にしながらビールを飲んだり肉を網の上に載せたり食ったりしていた。人が熱心に語っている姿を見るのは、そこに真摯さがあるなら決して嫌な事ではない。むしろその熱気に圧倒される感じが好きなくらい。とは言え取り残された感があった事は確かなのだけれど、目の前で繰り広げられていた話はそんな事を考える暇を与えないテンションで私の意識を持っていく。
その後、遅れて参加したE名さんを交えて、議論は色々なところへ飛んでいった。それでも、ここにはここでアンカーとなるべき共通の意識があるのを感じる。何か、自分自身の土台を組み立てていこうとするような、既に出来上がっている土台の欠陥に向き合おうとするような。恐らく私が大学院に行った理由の一つは、そういう共通する感覚に惹かれたからなのだろうと思う。結局、中途半端にしか向き合う事は出来なかったけれど。
ところで、呑み会の後半に差し掛かって阿部和重の『グランド・フィナーレ』が話題に上り、そこからペドフィリアの問題点とかいった話になっていったのですが、隣の相席状態のグループには女性がいたのをすっかり忘れていた。下手するとセクハラになりそうなマージナルな話をしていたなあと後から少々後悔。