過去は忘却される。

正月に買ってきた椅子をやっと組み立てる。近所のオフィス用品を扱う店のセールで売っていたもので、高価というほどではないものの私の部屋には勿体ないような椅子ではあるのだが、肘置きと座り心地に惹かれて買ってしまった。特にこの肘置きというのは重要で、それまで使っていた椅子には肘置きがなく、長時間パソコンの前に座っていると腕がバキバキに凝り固まってだるくなってしまっていたのである。それに加えて椅子本体のクッション性も優れたものとなり、長時間座っても全く疲れないようになったのだから、これで暇があったらきっとパソコン前で確実にヒッキーな生活となってしまうだろう。いや今までも半ヒッキーな生活ではあるのだが。
そう言えば先日本を読みながらテレビをつけっぱなしにしていたら、ネットサーフィンやネットゲームにハマる人々を特集する番組をやっていた。その中でネットゲームに没頭し家族の会話もゲームの中で行う母娘を取り上げていて、彼女達がやっていたのが私も時々やっている「ラグナロクオンライン」だとBGMから推測されたのでちょっと意識を傾けていたのだが、内容はと言えば特殊な事例を槍玉に挙げて新しいメディアを批判するという相変わらずの構成で頭が痛くなるだけだった。恐らく30年後にも同じような番組が放送されているのだろう。例えば現在のようなインターネットでのコミュニケーションが当たり前となり広く普及した後、モニターやキーボードなどの入出力機器を必要とする事なく直接身体に端末を付けてコミュニケートが可能となる『攻殻機動隊』に出てくるような技術が登場したとしたら、現実とメディアの差異は現在よりも更に希薄となるだろう。そうしたらかつて若者だった頭のカタイ有識者とやらがきっと言うのだ、「私達の頃はまだ現実との区別をまだ弁えていましたよ」とか何とか。自らが過去に頭のカタイ有識者から槍玉に挙げられていた事をすっかり忘れたかのように、いやむしろその鬱憤を次の世代にぶつけるかのように。自らの常識を守るために他を攻撃し、その抑圧故にコンプレックスを強化しつつ自らがマジョリティとなった時には再び他を攻撃する。このようなスパイラルが共通意識を作っているのではあるのだけれど、自らも含めて人間自体の思考ってのはそうそう進歩しないんだなあ、と考えると何だかどっと疲れが出るのも確か。