「熱い」ドラマの功罪。

本日でドラマ『めだか』が最終回を迎えた。私は基本的にドラマをちゃんと観る事が少なくて、この『めだか』にしても途中から観ていたのだけれども、いや、何と言うかしっかりと作られたドラマだったと思う。ストーリーは基本を押さえたオーソドックスなものであったけれども、その分破綻が少ない。役者に関してもスタープレイヤーという感じの人はいないが、それぞれ実績を積んできたらしい安心して観ていられる人で固められていた。こういう手堅い作品は結構好きだ。
前にも書いたが最近涙脆くなっており、矢張りこれを観ている時にも涙ぐんでしまった。これは自分にない「熱さ」に対してドラマに過剰に感情移入してしまうからだろうか。はたまたその「熱さ」がない自分に対する涙なんだろうか。どちらにしろ、面白いと思う気持ちに変わりはない事は確かなのだけれど。
ちなみに教師を扱ったドラマでも、長年の手堅い人気を誇る「熱い」ドラマの代名詞『金八先生』は好きになれなかったりする。マイナー志向と言ってしまえばそれまでだが、何だかあまりに「これが教師の理想像だ!」というメッセージが強いように感じるのだ。確かにドラマの中の金八は生徒のためを思って動いているように見えるし、教育現場での葛藤について描いている部分について興味深いところは多々あるのだけれど、現実の反映を妙に背負ってしまっているところが観ていて辛い。所詮ドラマ、という降り方を許容しないような雰囲気とでも言おうか。ドラマ内の出来事をあまりにストレートに現実へと応用してしまう言説や、そのような動きを分かった上で作っている雰囲気が好きになれないのだ。現実の大半はドラマほど複雑ではない事、そして同時にドラマほど単純ではない事を見えなくしてしまう位置に『金八』は存在しているように思う。