誰が子供達を殺したか。

栃木県小山市の幼児殺害事件が大々的に放映されている。小山は茨城に住む祖父母の家に行く途中の乗換駅なので、何となくいつもより地名が頭に残っている感じ。川に投げ落とされた兄弟のお兄さんの方の遺体が見つかった場所が野木町というのも、向こうに知り合いがいて一時期よく遊びに行っていたので「どの辺りだろう」と無意識の内に野次馬根性が顔を出して気になってしまう。
今回の事件で最も不可解なのは、既に一度虐待が発覚しているにも拘らず再び容疑者宅で親子が同居を始めた事だろう。この点に関して「何故父親がそうしたのか」についてはプライベートな領域なので他人に口を出す権限はないだろうし、マスコミも現状で下手に報道すれば自分が非難されるという事が分かっているからこそ、それを恐れてその内実に言及する事を意図的に伏せているんだろうと思う。恐らくもうちょっと時間が経てば、各社争うように根掘り葉掘り集めた情報を待ってましたとばかりにぶちまけるようになるんだろうが、それはここでは置いておく。問題は、こういった虐待事件が起こった時に必ず児童相談所の責任という話が出てくる事だ。だが、児童相談所が有無を言わさず親子の引き離しや子供の保護をするという事は、親の権利や社会的な信頼性が最早ないに等しいという事ではないだろうか。それが一般的な感覚として考えられるようになると、家庭という私的な領域にまで法の力が能動的に介入してくる可能性を認める事になりかねない。風邪の予防は大事だが、ひきはじめからがんがん薬に頼るのは逆に健康を損なう可能性が大きい。今回の事件を社会という一身体の「病気」として捉えるのは乱暴かもしれないが、とはいえ薬の性質と強さを考えないでとりあえず「処方しろ」という声が出てくる事には毎度の事ながら嫌気が刺す。まあ恐らくそんな事は報道する側も分かっていて、その上で悪者作りというか事態収拾のために一時的にこんな解決法を提示しているのだろうが。もし彼らのいう児童相談所の介入が実際に行われたら、「親権の侵害だ」とか何とか先ずは叩きを始めるに違いない訳で、それにまたうんざりさせられるんだろうなあ。
最後に、大人達の事情に振り回されて亡くなってしまった幼い兄弟に合掌。