暴力的な風。

頭がガンガンします。




佐藤友哉著『フリッカー式』を読む。
自分の人生において自分は主役だけど他人の人生においては脇役でしかない。
そして、どんなに他人の物語に振り回されようと自分の物語を降りながら生きる事はできない、という事実を極めて複雑に冷徹に表している印象。
しかし「主体的に生きる」というのは結局それを「信じるか信じないか」の問題であるにも拘らず絶えずそれを強要されるわけで、しかも都合のいい時だけその強要は恣意的に撤廃されたりするわけで。
振り回されながら苦しむんだよなあ不便だよなあ、という作者の嘆息が聞こえてくるような気も。


ちなみにトリックに関しては井上夢人の『メデュサ、鏡をごらん』を少し思い出すような話。
ちょいとネタバレ気味ですか。