それでも世界は終わらない。

西尾維新の『クビキリサイクル』読了。


語り手である「僕」こと「いーちゃん」は、論理の向こう側にある静止状態に達してしまった存在。
それ故「戯言使い」「傍観者」たるのだけれど。


「論理を突き詰めたい」というのは、私自身の中にも存在する欲望だが、その先に終着点なんてありはしないという事はいい加減気付きつつある事実。
かと言って、自分の作り上げてきた観点をリセットする事は一旦死ぬのと同じくらいの度胸が必要となる訳で。
で、それができない人間はどうするのかと言えば、生きている限り終着点の幻とそこに至る面を埋め尽くすような道路をひたすら建築するようになる。
そしてもし一歩でもその敷設を誤れば、もし道路を作る事自体に疑問を投げかけてしまったとしたら、多分私は何もできなくなってしまうのだろう。
いーちゃん」は、その何もできない状況まで行き着いた挙句、「流される」という一点によって絶望し、そして辛うじて存在を許されている存在だ。


自分が目指す場所のその先の姿を見せてくれたという点で、非常に面白い作品でした。