まぼろしの終着点。

最近急に寒くなってきたので、冬物の服を慌てて引っ張り出す日々。その中に一つ、随分前に激安だったので買ったがサイズが合わない(小さい)ため仕舞いっ放しになっていた革のジャケットがあったので、意を決して装着。
……果たしてボタンはすんなりと嵌まった。
2年越しの悲願達成である。脳内では大観衆に手を振りながら、感動のゴールである。ありがとう、ありがとう皆。脳内でいきなり創造された大観衆なのだから身に覚えのない事で感謝されても困るだろうが。
とは言え、そんなよく分からない高揚感にいつまでも浸っていられない。自身のダウンサイジングによって、新たな問題が浮上している。つまり、去年現役だった服が大きくなってしまったのだ。ちょっと父親の服を着た子供のような風貌になる。本体に子供ならではの可愛らしさがない場合、その格好は捕まっても文句が言えないような感じだ。
買い換えればいいだけの事ではあるのだが、ここに少々障害がある。多少の減量には成功したとは言え、私自身のサイズが重量級である事に変わりはない。で、この減量の結果としての現状がまた中途半端なのだ。一番身近な例を挙げると、イトーヨーカドーの大きいサイズコーナーのLLサイズは丁度いいが、普通サイズコーナーのLLはちょっとキツイ。ユニクロで、フリース関係のXLは着られるがジャケットは前が留まらない。
夏の頃、ユニクロには追い付いたと思っていた。Tシャツが着られた。前ボタンのシャツも射程に入った。しかしヤツはまた、私を突き放そうとしている。5年前のあの蒸し暑い夏の日と同じように(以下回想略
黒幕たるファーストリテイリングの喉元に刃を突き付けるまで、敗北は許されない。復讐するは我にあり、である。
「まあそんな訳でもう少し減量する必要があるのです」と友人に話したところ「お前のアイデンティティが失われていくなあ」という質量存在感説をいつも通り展開してきたので華麗にスルー。その後「俺なんて190cm近くあるから、痩せたにしろユニクロ製品なんぞ着れん、ユニクロに価値などないわ」と自らの立場からでしかない傲慢な物言いをするので、これに対抗すべく「ここは私の戦場だ。お前の戦場はお前の中に存在する。早く持ち場に着け!」などと至極適当な命令を言い放って電話回線を切断。
「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いていく」(『Tommorow never knows』 by Mr.Children)――桜井さんは時々酷くイタイ現実を歌詞に織り込むので聴いてて辛くなる時がありますorz