何のための物語か。

ちょっと前に比べると論調は弱まったが、しかし少年犯罪やいわゆる「おたく」の起こした犯罪があるとその原因を「現実と物語の区別がつかない」点に求めようとする動きは一定量あると思う。だがこのような意見は、物語の現実への適応という問題とモラルの問題とを混同しているのではないだろうか。
例えば、教育委員会ご推薦の図書なんていうものが何故か。名作と言われる書物が読書を薦められるのは何故か。それはその本を読む事で、物語や作品に触れる事で、何らかの現実的な影響がその人に与えられると考えられているからだ。だからこそその一方で、「有害」と言われる作品が弾圧されたりもする。「現実と物語の区別がつかない」という事も、これと関連して非難される。だが実は、そこには一段論理の過程がすっ飛ばされてはいないだろうか。つまり、「社会的に有益な影響がある作品は現実と混同して読んでほしいが、悪影響のある作品は混同されたくない」という選別意識が存在しているのだ。考えてみれば、名作を読んで「結局これって物語だし自分の人生とは違うから同じようには感じられないし行動出来ません」などという感想文を書く子供がいたとしたら確かに現実と物語の区別がついていると言えるだろうが、恐らく先生は困るだろう。だからこそ本来、必要とされているのはモラルのはずなのだ。物語を受け取って、それをどのように現実へと適用していけばいいのか、その能力こそが求められるべきものなのである。その論点を、「現実と物語の区別がつかない」という言葉は埋め潰してしまうように感じられるのである。