テレビ。

自分の部屋にあるパソコンは肘を置くところも手首を置くところもないため(つまりずっと腕が中空に浮いている)、長時間キーボードを打っていると腕全体が激しいダルさに襲われる。大体その前に肘に痛みが走るようになるので中断されるのだが。なので私が論文やら長い文章を書く時は大体ノートパソコンのお世話になるというか、レポートも修士論文も茶の間にノートパソコンを持ち込んで殆どその環境で打っている。
そこで問題になるのはBGM。これがない状況だと逆に細かい雑音が気になるので、余程気力集中力が充実していない限りは一定の音があった方が作業が捗る。ところが茶の間には音楽を聴く機材がない。あるのは先日も書いたがDVDプレイヤーで、テレビと連動させて音楽を聴く事は出来るが、CDを持ってくるのが面倒臭いというひどく消極的な理由で殆どの場合はこの機材を利用する事なく、専らケーブルテレビのニュース専門チャンネルをつけっぱなしにしている。
考えてみるとニュース番組は、基本的に私がチャンネル権を主張する唯一の方策であった。子供向けの特撮やアニメは大体において「下らない」との一言によって切り捨てられて、父が主張する野球中継や祖母の主張するドラマに変更させられていた。今考えてみると野球も橋田ドラマも相当に下らないと言えば下らないと言うか、どういう基準で判断がなされていたのかは永遠の謎ではあるが、まあ兎に角「ニュースが視たい」というのはそういった意見に対抗する事の出来る、言わばジョーカーに対してスペードの3を出すような「してやったり」な台詞であった訳だ。
そんな過去の傷と現在の状況が相俟って、今も一番長い時間視ている番組はそのニュース専門チャンネルなのだが、兎に角この番組は24時間やっているとは言え常に最新のニュースが更新されている訳ではないから、1〜2時間くらいでループしたりするのでパソコンを打ちながらも段々脳に情報が刻み込まれていく感じがする。その内「あ、エリアカメラマンの茅野さんの髪型が変わっている」などと中年のオッサンの個人名とその特徴といった気付きたくもないところに気付くようになったりする。しかし「経済部の高取さん」やら「東証アローズの青木記者」やらの枝葉末節的な情報はすんなり頭に入って来るくせに、肝心の株価や円相場といった情報には全くと言っていいほど注意が向いていないのは、何だか義務教育などにおいて常々担任から注意されていた部分――集中力がない訳ではないのですが方向が間違っています云々――といった事を思い出させ「ああ人間本質的な部分は結局変わらないんだなあ」という事を薄ぼんやりと感じさせてくれるのですがいい事なのか悪い事なのか。