『デビルマン』における牧村美樹について。

何だか良くも悪くも話題が拡大しているようなので、追加の駄文を一つ。
コメントをいただいたIWASHI COMさんへのコメントにおいても少々言及した事なのですが、牧村美樹役の酒井彩名を含め牧村家の人々は、しっかりと役割を果たしたという点で、あの映画の主要キャラクター中で唯一と言っていいくらい評価できると考えています。しかしそれが役者の力や作品中の描かれ方が巧みであったからかというと、一概にもそうは言えない。恐らく牧村家の人々は――特に牧村美樹というキャラクターについては――、定型化され最も演じ易い、役割は決まっているがキャラクターとしてあまり深みがないからではないか、という事を感じました。
牧村美樹の位置付けは、デビルマン不動明の戦うモチベーションです。人間を護る、人類を滅亡から救う事の具現化された象徴として存在するのが牧村美樹なのです。その余りに分かり易い位置付け故に、彼女のキャラクター性は単純化されてしまっているように感じられます。彼女には、心理的な葛藤が殆ど見えないのです。原作を読んだ時にも感じた事ですが、映画ではそれが更に加速されているように見えました。デビルに合体された同級生を見た時、デビルマン不動明と対面する時、彼女はその姿に恐れを抱きません。身の回りの人間が変身してしまう様を、彼女は「友情」や「愛情」で軽やかに乗り越えてしまいます。そしてそれ故に愛され、また殺されてしまう存在。余りに単純で、人が良く、愛すべき人間のエッセンス。そのような偶像的な性格の裏側に、デビルマンを最終決戦まで導いていく生贄としての位置付けが隠されている事――これは原作・映画を通じて『デビルマン』という作品の抱えている、欠点というか危険なロマンチシズムだと感じるのです。