戦争のリアリティ。

友人から小川一水の『強救戦艦メデューシン』という本を借りる。
戦地救護班(を大規模にしたもの)を中心としたお話。


これに限らず戦争を扱った作品に触れると、戦争のリアリティとは何なのだろう、と感じてしまう。
その作品に対して感動する事は出来る。
その作品にのめりこむ事が出来る。
完全な「嘘」だと感じて作品に接しているならばそのような心の動きは起こらないだろう。
そういった意味で、その作品に対して何らかの、そしていくらかのリアリティを私は所持している事になる。
しかし、心情的にリアリティを感じる事がそのシチュエーションのリアリティを保証する訳ではない。
私は実際の戦争に参加した事も巻き込まれた事もないし、恐らくこの作品の作者だってそうだろう。
それがドキュメンタリーであっても同じ事で、テレビや本のこちら側にいる私達がどんなに作品内にのめり込もうとも、実際にそこに映し出され描かれている人物と同一の立場に置かれる事はない。
だからここで感じられているリアリティは、とても仮想的なものだ。
別に仮想的なシチュエーションの創出を否定する訳ではない。
仮想的なシチュエーションに感情移入する事の出来る想像力は、人と人との関わりを考えても必要なものである事は十分に分かっている。
ただ、例えば「戦争反対」の声を挙げる時、私達の多くはそういった仮想的なものから「戦争」のイメージを形成し、それに基づいて行動している事は意識しておかなければならないと思う。