昨日の日記。

昨日はプロバイダの基地局メンテナンスがあったため、更新できず。
今日は特筆すべき出来事もなかったので、昨日の日記をつける事にする。
まあ、普段から怠けて2、3日分一気につけたりしているのですが(日付を変えるので後から見るとあたかも当日つけたかのように見える)、それとの差別化も含めて。




前にDVD-Rドライブを買うのに付き合った後輩*1が今度はハードディスクとスキャナが欲しいという事なので秋葉原へ集合の約束。
今度はこちらが一時間ほど約束の時間に遅れてしまった。
「それでもこの前の貴様の到着時間よりは30分早いわ!!」などと逆ギレして誤魔化す。


買い物終了後、御徒町のザビーニで呑み。
料理が旨い上に食べ放題、という前から一度行ってみたいと思っていた店。
味もボリュームも期待以上でしたが、何だか男二人で入るのは罪悪のようにお洒落っぽいお店でしたよ。




その呑みの時にも話したのだが、遺伝子に関する研究が「神の領域」とか「禁忌」とか「差別に繋がる恐れ」といった性質で取り沙汰されるのに対し、何故脳の研究は現在これだけおおっぴらに行われるのだろう、という最近の疑問。
文部科学省主導で子供の脳のCTスキャンデータ収集が行われたり(主にゲーム脳に関する実証をしたいようですが)。
養老孟司が『バカの壁』の中で「犯罪者の脳のCTスキャンを取って資料として残すべきだ」とか書いていたり(データの運用についての責任を正論を振りかざす事で楽観視する真に学者らしい一面がよく表れていた気がする)。
こういった動きの背景には「遺伝子は先天的なものだけど脳は後天的なもの」といった考え方があるのではないだろうか。
それが性急に「即効対策」を求める行動を促進している気がして仕様がないのだ。
そして行き過ぎた即効性への要求は、象徴関係と因果関係をいとも簡単に混濁させてしまう。
「ある旅人を泊めたら身内から死人が出た、あの旅人は死神だ」という到底立証とは言い難い論理が、不安に陥った人間にとってはとてつもない説得力を持つ事もある。


先日起こった佐世保の事件の時にもゲーム脳の話は引き合いに出された。
所謂「普通の子」が起こした事件、という事で世間は恐々とした。
子供を持つ親は、自分の子供が被害者になる事と同じくらい加害者になる事を恐れた。
そういった状況の中で、まだ仮説でしかない主張が新たな「魔女狩り」の旗印となり子供達を更に追い詰める事がないよう、ゲームにもネットにも漫画にもどっぷり浸かって生きてきた人間は祈るのみである。